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バイオ野菜第1号「ハクラン」の誕生

〜失敗を逆手に方針変更〜


「紙と鉛筆」と西貞夫



 敗戦後の貧しい時代の話である。物資不足の試験場で、ならば「紙と鉛筆と労働力だけでできる仕事を」と、がんばった研究者がいた。 我が国初のバイオ野菜「ハクラン」の育成者、元野菜試験場長西貞夫である。当時は復員後日も浅い、少壮の研究者だった。

 ハクランはハクサイとキャベツ(カンラン)の種間雑種である。両者は染色体数が異なり、自然状態では交雑できない。この地球上に存在しなかった交雑植物を、 西は世界ではじめてつくり上げた。昭和34年、当時平塚市にあった農業技術研究所でのことである。

 最初は西も、ハクランなど作るつもりはなかった。「偽受精」という現象を、ハクサイやキャベツなどアブラナ類の品種改良に役立てようと考えていたのである。

 染色体数の異なる遠縁の植物同志をかけ合わせても、雑種はできない。だがまれにその刺激で、母親とまったく同じコピー植物ができることがある。 これが偽受精である。

 ちょうど野菜でもF1品種が出はじめた時期だった。F1づくりには自家受精をくり返し、純度を高めた親系統が必要である。ところがアブラナ類では、 この方法では生育が劣化し、採種不能に陥ってしまう。そこで、偽受精の利用を考えた。偽受精の後代なら純度は文句なし、自家受精しても種子がとれやすいからである。

 偽受精を人為的に誘起させる技術の開発。西の毎日は、くる日もくる日も交配実験のくり返しだった。「20〜30日もつづけると、目の焦点が合わなくなり、 夕方には菜の花の黄色の残像のため、すべてのものが黄色に見える」、当事者のみが知る実感である。

 そのある日、一つの発見があった。肉眼では受精していないとみた交配植物が、実は胚ができていて、未熟のまま退化してしまうことに気がついたのである。 西はその未熟胚が偽受精によると考えた。そこで、早速これを取り出し、試験管内で培養してみた。

ハクラン(白濫、中央)、名前もハクサイ(左)とカンラン(右)の合成  絵:後藤泱子  ところが、期待は大きく裏切られる。せっかく培養して得られた個体は偽受精ではなく、正真正銘のハクサイとキャベツの種間雑種だったのである。 散々苦労して探し当てた銀鉱を、実際に掘ってみたら、なんと金鉱だった。そんな複雑な心境だったろう。

 ここから戦時中〈あわや特攻隊〉の経験をもつ、西のしたたかさが発揮される。失敗を逆手にとり、種間雑種づくりに方針を変更したのである。 ハクランの品種改良は岐阜農試に受け継がれ、昭和41年ころからは同県の農家でも栽培されるようになった。最近は家庭菜園などでも人気があるという。

 外観はハクサイとキャベツの中間。生でも煮ても、漬けてもおいしい。まだ発展途上の野菜だが、その誕生が我が国バイオ農業に〈はずみ〉をつけた功績は高く評価される。

 「世の中よろず塞翁が馬」とは、ますます壮健な最近の西の言葉である。

(西尾 敏彦)


「農業共済新聞」 1996年2月22日 より転載


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