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世界を制したヒナ鶏の雌雄鑑別技術
〜2万羽に及ぶヒナから基準〜


小島學と雌雄鑑別協会



 大正が昭和に替わった頃、一人の養鶏家が娘さん同伴で当時千葉にあった農林省の畜産試験場を訪れた。

 「孵(かえ)ったばかりのヒナをいじりまわすのには手がこわばり過ぎているので娘をつれてきました。よろしく」

 愛知県の養鶏孵卵業小島學が、発見されたばかりの鶏ヒナ雌雄鑑別法の手ほどきを受けにきた時の話である。ちょうど農村恐慌のさ中で、 救農政策として「鶏卵増産運動」が推奨されていた時のことである。人口孵化が定着し、飼養羽数が急増した時期でもあった。

 ヒナの雌雄鑑別法は大正13年に畜産試験場の増井清・橋本重郎・大野勇によって発見された。

 生まれたばかりの雄ヒナの肛門には生殖器の退化によってできた微細な突起があるが、雌にはない。その有無で雌雄を判別できるというのである。

 それまでの雌雄鑑別は鶏冠、尾羽根の発達、鳴声などが頼りだった。だから孵化後1ヶ月程度は雌雄がはっきりせず、餌代などに余分な経費がかかった。 雌ヒナの一刻も早い選り分けは、養鶏孵卵業にとってとくに重要な関心事だったのである。

 手ほどきを受けた小島は早速実地に応用してみた。実際にやってみると、突起の有無の判定といってもそれほど容易ではない。雌ヒナにもまぎらわしいのがいる。

 そこで2万羽に及ぶヒナに実際に当ってみて、形態や色の違いで見分ける基準を作った。その小島の研究が今度は増井らの研究を力づける。 現場でえられた基準は解剖学の裏づけをえて、技術としての精度を高めていった。

絵:後藤泱子  このあたりから、仲間がつぎつぎと現われ始めた。昭和4年には愛知県にはじめて協会ができ、やがて全日本初生雛鑑別協会に発展、今日に至る。 今も競技会や検定試験を開催して技術の向上を図り、優秀な鑑別師の養成を進めている。

 競技会の優勝成績をみると、当初は100羽の鑑定に13分、すべてが的中とはいかなかったが、今では3分台、100パーセントの正確さで鑑別できるという。

 1本の縄をなうように、基礎研究と現場の実証とがからみ合って、養鶏業の大躍進につながったこの技術革新は成し遂げられていった。

 鑑別技術は我が国が世界に誇る独創技術で、世界の多くの国で今も普及している。鑑別師も最近は各国が養成しているが、今でも年間100名前後を海外に派遣している。

 昭和8年、はじめてアメリカに派遣された余語彦三郎は各地の試験場・大学で5万羽に及ぶ鑑別の実演を行なったが、すべて100パーセントの的中率であったという。 こうした実績が今日の高い評価を生んだのだろう。

 最近は、機械による鑑別法やバイオによって卵色を変える鑑別法なども研究されているが、今のところこの単純な方法にかなわない。技術開発にはどんな高価な機械施設よりも現場の参加が重要であることを、 この物語は教えてくれているのだろう。

(西尾 敏彦)


「農業共済新聞」 1994年9月7日より転載


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