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選果システムを一新、ミカンの内出血をとめた
宇田擴(うだひろむ)の研究


イラスト

【絵:後藤 泱子】

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 日本列島に温州(うんしゅう)ミカンが根づいて300年余になるが、全盛期はなんといっても昭和50年(1975)前後だろう。当時の最高生産量は367万トン。 米についで第2位の農産物にのし上がっていた。全国に5300カ所の大型選果場が設置され、オートメ選果システムが毎日大量のミカンを処理していたという。

 だがこの順調にみえた選果システムにも、まもなく危機にさらされる。
〈選果場から出てくるミカンは品質が劣化し、長もちしない〉
という声が聞こえはじめたのである。和歌山県果樹園芸試験場の宇田擴(うだひろむ)らが選果工程の品質管理研究に挑むようになったのは、 ちょうどそんな時期であった。

 もっとも宇田も、はじめから選果研究に興味をもっていたわけではない。最初は傾斜地ミカンの搬出軽労化をねらい、収穫したミカンをパイプ内を滑送させる研究に取り組んでいた。実際は損傷がひどく実用に至らなかったが、 その経験が選果工程の研究で生かされることになった。

 前号にも述べたが、当時の選果機は大きさに応じた孔でミカンを篩別落下させる方式が多かった。とくに大型施設の選果工程では、平均30センチの落差が30回近くあり、ここを流れるミカンは延べ6〜10メートルの落下衝撃を受けるありさまだった。 彼らはこの点に着目、30センチ以上の落差から生じる衝撃が、果実の〈内出血〉を招き、品質・食味を低下させることを明らかにした。昭和55年(1980)のことであった。

 ここでミカンの内部構造に触れておこう。ミカンは普通10個以上の「じょう(のう)」で形づくられている。じょう嚢中のつぶつぶを「砂じょう」というが、 宇田らはこの砂じょうが衝撃で破れ、組織間に果汁が溢出することが品質低下につながることを見出した。まさしくミカンの内出血といってよいだろう。

 大型施設を対象にするといっても、実際の研究は緻密さが要求される。施設から持ち帰ったサンプルのミカンを対象に、連日調査がつづけられた。じょう嚢をハサミで切りひらき、溢液をろ紙に吸いとらせる。 砂じょうが破れていれば、ろ紙の重量増で内出血程度がわかるわけである。宇田とともに研究の主力であった山下重良(やましたしげよし)の話では「拡大鏡で砂じょうをひとつひとつ観察する」というような研究も行っている。 「ひとつのじょう嚢には砂じょうが250〜400あるものです」とも教えてくれた。

 流通過程における衝撃が、果実の傷みを増加させるという研究が、それまでになかったわけではない。だが農林水産省の支援も得て進められた宇田らの研究が、旧来の選果施設を一新させるきっかけとなったことは間違いないだろう。 ちょうど消費者のおいしいもの指向が本格化した時期でもある。以後、我が国の選果システムは極力衝撃を回避する形式に変わっていった。昭和50年代末から世に出はじめたカメラ式形状選果機はこの流れに沿うものである。 最近は糖や酸など内部品質まで判定できる非破壊式の光センサー選果機まで登場してきている。

 考えてみれば、米を除き、国公立研究機関が農産物流通技術の研究に着手するようになったのは、この研究あたりを嚆矢とする。宇田らの研究はその点からも評価される。ちなみに宇田も山下も試験場長を最後に退職、 現在も和歌山県下で果樹園芸に貢献している。

【追記】元和歌山県園芸試験場長宇田擴氏は平成18年(2006)年11月20日に他界された。82歳であった。

続日本の「農」を拓いた先人たち(45)選果機の歩み(下)、ミカンの内出血をとめた宇田擴 『農業共済新聞』2003年4月2週号(2003).より転載  (西尾 敏彦)


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