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水稲カルパー直播の扉を開いた
中村喜彰の種子コーティング


イラスト

【絵:後藤 泱子】

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 昭和50年(1975)ころのこと。保土ヶ谷化学の岡村省三氏はそれまで会社が力を入れてきた農業用過酸化石灰の生産中止を告げるべく、石川県立農業短期大学を訪れた。

 水稲直播で、過酸化石灰を種子に添加して播くと、土中で酸素が放出され発芽を促進することは、以前から知られていた。保土ヶ谷化学ではその実用化を見込んで、過酸化石灰の生産をつづけてきたが、 種子への固着がむずかしく、実際には思ったほど効果がみられなかった。そこでこの事業からの撤退を内定し、関係機関を回っていたのである。

 だが、撤退の行脚はここで打ち切りになった。ここでみた農業機械の中村喜彰(なかむらよしあき)講師の実験が撤退を思い止まらせたのである。 彼の実験はこうだった。まずプラスチックバットに種籾と過酸化石灰・焼石こう(膏)の混合粉末を入れる。つぎに種籾に水を噴霧しながらバットを丸く揺する。たったそれだけのことだが、 これで過酸化石灰がしっかりコーティングされた種籾ペレットができあがった。

 焼石こうは水に触れると固化する。中村の実験はその原理を応用したいわば〈コロンブスの卵〉だが、彼がここにたどり着くまでには、多くの試行錯誤があった。

「あのころは土日・盆暮れなしで実験に没頭したものです」と、彼は回想する。
催芽種籾の発芽を損なわずに、過酸化石灰を籾に固着させるのはむずかしい。ゼラチン、アラビアゴムなどと、さまざまな材料を試したが、いずれも失敗、最後にたどり着いたのがこの焼石こうだった。

 直播きの弱点は発芽が不安定なことにある。とくに湛水直播では少しでも種子が泥に埋まると酸素不足で発芽しない。だが焼石こうで過酸化石灰を被覆した種子は、播種深度10ミリまでは発芽が可能で、 そのうえ土に埋まった分だけ、倒伏にも強くなった。それまで不可能とされた湛水下の土壌中播種を可能にした画期的な栽培法の誕生であった。

 ここから過酸化石灰と焼石こうの混合剤「カルパー」が登場し、回転式皿型コーティング機の開発がつづいた。昭和55年(1980)、カルパーは農薬登録され、前後して湛水直播用除草剤や直播用播種機も世に出た。 国や県の農業試験場がカルパー直播の栽培試験に取り組むようになったのも、このころからである。最近はメーカーの手で、自動コーティング機や6〜8条の条播機・点播機も、つぎつぎ開発されている。

 昭和50年(1975)代の田植機の普及で、一時7200ヘクタールにまで激減した直播きが漸増に転じたのは、平成10年(1998)代以降である。カルパー直播の普及がそのバネになったのは間違いない。 平成19年(2007)の現在は直播面積1万6700ヘクタールのうち、1万1000ヘクタールを湛水直播が占める。そのほとんどがカルパー直播と考えてよい。これからも大規模稲作や飼料稲作で、 直播きをのぞむ農家の頼もしい助っ人になっていくことだろう。

 中村は教授を最後に大学を退職、現在は金沢市内で悠々自適の生活を楽しんでいる。過日、岡村と自宅にお邪魔したが、直播きの話になると、いつまでも話題が尽きなかった。

新・日本の農を拓いた先人たち(9)画期的な種子コーティング、水稲カルパー直播の扉を開いた中村喜彰『農業共済新聞』2008年9月2週号(2008)より転載  (西尾 敏彦)


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