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ミューラーとニップリング

−DDTと生態防除−

 人類はどうやら、いたずら好きの神様にかわいがられているらしい。科学技術史の年表をみていると、ふと、そんな錯覚に陥りそうな出来事が目につく。 ミューラーとニップリングの話がその一つである。 

 1938年という年は、地球上の昆虫にとっては最悪の年であった。ミューラーがDDTの殺虫効果を発見したのがこの年。ニップリングが不妊虫放飼法のアイデアを考えついたのも、 この年だからである。

 もっとも、ここからの二人の研究は対照的な経過をたどる。二人を両天秤にかけた、神様のいたずらのはじまりである。
DDTは当時の有機化学工業の進展に乗り、急速に世界中に普及していった。生活害虫・農業害虫を問わず、この薬剤にお世話になった人は多いだろう。 戦後の日本農業の躍進にも強力な武器となった。ミューラーはこの功績で、1948年のノーベル賞に輝いている。

 そのDDTの残留毒性が問題になりはじめたのは、1960年代になってからであろうか。今ではご存じの通り……。我が国でも1971年以降、使用禁止になってしまった。

 ミューラーのノーベル賞受賞の頃、ニップリングの研究はまだ水面下にあった。ハエを大量に人工増殖し、放射線で生殖能力を失わせる。これを野外に繰り返し放つと、野生虫同士の交尾機会が減り、やがて絶滅に至る。フィールドが中心の研究では長い試行の期間が必要だったのである。

 現地での本格的な実験は1954年にベネズエラの小島でスタートする。1960年には、アメリカ南部で猛威をふるう家畜の大敵ラセンウジバエの根絶に成功した。日本でも1993年には、沖縄・奄美の野菜大害虫ウリミバエの根絶という大金星をあげた。ちなみに、ニップリングはつい先年日本国際賞を受賞するまでほとんど賞らしい賞をもらっていない。

 科学技術のすばらしさの一つは、その即効性にある。乗り物はより早くなり、大建造物もあっという間に建つ。お腹が痛い時は医薬でたちどころに治す。農業でも化学肥料・農薬など即効性技術が主流を占めてきた。バイオもまたその延長に連なるものだろう。

 だが、その行き方に落し穴のあることを、神様は警告しているのだろう。 地球の「時」はゆったりと流れている。科学技術がセッカチな人類だけの欲望に応えていると、いつかミスマッチが生じる。自然とのつき合いが基本となる農林水産の技術では、とくにこの点の配慮が必要だろう。

 ニップリングは最近、不妊虫放飼法だけに依存しない新たな総合防除技術を提唱している。神様の次のいじわるがこわいからである。先端技術に期待が集まる昨今だが、いつでも神様のいじわるな目が光っていることを忘れないようにしたい。


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