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世界ではじめて野菜のハイブリッド品種をつくった
柿崎洋一


イラスト

【絵:後藤 泱子】

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 野菜がおいしい季節である。その野菜が、最近はほとんど雑種強勢を利用したF1(1代雑種、ハイブリッド)品種に変わっている。多収で収穫期が早くなり、しかも強健で斉一性にもすぐれ、つくりやすいからだ。

 野菜のF1品種を世界で最初につくったのは、埼玉県農事試験場の柿崎洋一(かきざきよういち)といわれる。大正11年(1922)、 当時浦和町(現在のさいたま市浦和区)にあった埼玉県農事試験場に園芸部主任技師として赴任した彼は、ここで各地のナス24品種を組み合わせたF1品種の育成をはじめた。ナスは花が大きいため除雄・交配がしやすい。 1果当たりの採種量も多い。彼はそこに目をつけ、F1品種の育成をはじめたのである。

 柿崎は41組み合わせの雑種をつくり、この中から初収期が早く、顕著な増収効果が認められた2組み合わせを選抜した。大正13年(1924)には、これを「浦和交配1号(白茄×真黒)」「浦和交配2号(巾着×真黒)」、 別名「玉交」「埼交」と名づけ、農家の栽培に供している。4年後の昭和3年(1928)には、30ヘクタールほどが栽培されていたそうで、農家に「柿崎ナス」と呼ばれ、好評だったという。

 じつはF1品種の育成では、すでにわが国の外山亀太郎(とやまかめたろう)による蚕品種の、世界に誇る先例がある。作物でもアメリカでトウモロコシのF1品種がすでに実用化されていた。 柿崎の野菜はこれに次ぐものだが、といって彼の先見性が損なわれるものではない。戦後、野菜のF1品種は世界中で急増するが、その先がけとなったのがこの研究だからだ。

 埼玉県農試のF1品種育成を契機に、各府県の農事試験場でもナス・スイカ・キュウリなどのF1品種がつぎつぎ育成された。〈さあ、これから〉というところで戦争が激化し、定着をみることなく中断されてしまったのが残念である。

 もっとも柿崎洋一といえば、水稲や小麦に関する研究がより広く知られている。明治45年(1912)、秋田県花館村(現在の大仙市)にあった農事試験場陸羽支場に入った彼の初仕事は、 有名な「陸羽132号」の育成であった。「陸羽132号」は寺尾博(てらおひろし)仁部富之助(にべとみのすけ)が育成したわが国交配品種1号として広く知られるが、 その後半の系統選抜には柿崎も深くかかわっていた。

 昭和7年(1932)、農事試験場盛岡試験地にもどった柿崎は、ここでも「藤坂5号」の交配など、稲麦の品種改良に貢献する。彼はまた水稲冷害研究の草分けで、出穂前10日の生殖細胞分裂期に低温にさらされると不稔が多発することを、 はじめて明らかにした。

 柿崎は農学校卒の学歴ながら、独学で博士号まで取得した努力の人でもあった。いっぽうでアララギ派の歌人で、釣りやハンティングにも興じる多趣味な人であった。戦争中は熱帯で軍の農業指導に当たり、 戦後は仙台農地事務局計画部長として八郎潟干拓事業に取り組んでいる。退職後もしばらくは海外移住業務についていたが、昭和51年(1976)81歳で亡くなった。

新・日本の農を拓いた先人たち(6)水稲冷害研究でも成果、世界初の野菜F1品種をつくった柿崎洋一 『農業共済新聞』2008年6月2週号(2008)より転載  (西尾 敏彦)


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